安国寺(足利義教首塚)

付近住所 加東市新定851


安国寺 宝篋印塔

 当時は、足利尊氏、直義が、戦没者慰霊と天下泰平を祈願して、国ごとに一寺、一塔を建立したうちの播磨国安国寺である。
 嘉吉元年(1441)赤松満祐は京都の私邸で室町幕府6代将軍の足利義教を殺害し、将軍の首級を奉じて播州河合(小野市)の堀殿城に帰った。そこから足利ゆかりの当寺まで大行列で運び、播州の禅僧を多数集め、盛大な法要を営んで葬ったと伝えられている。これを「嘉吉の乱」とよび、「嘉吉物語」や「嘉吉太平記」に詳しい。
 首塚には凝灰岩製の宝篋印塔が築かれており、その様式、手法もこの時代に一致するものと思われる。
 塔は総高173cm、一重の反花座付基壇上に立つ。台石は各面とも輪郭の内に格狭間を、上部は反花を刻む。軸石の四面に蓮華座付月輪と金剛界の四仏の種子を刻む。笠の隅飾りはニ孤で輪郭をまく。四角で構成された石塔である。